すみません。公開のボヤキです。

久しぶりに凹む。
民事訴訟答練三回目返却。三度目(刑法1回、民訴2回)の単独最低点。
実際、読み直してみても全然いい加減な内容にしかなっていない答案なのだから、最低点の「20点」というのは妥当だ。覚えていることを書くことができた箇所に「良好です」と書かれているのが余計に悲しい。(「良好です」と書かれていて20点とは、他の箇所が壊滅していると暗示している)
やけになって、昨日は択一刑法を数問解いただけで寝た。



一晩ゆっくりと寝て、ある程度落ち着いた頭で考えてみた。
何が問題なのかについて。
一言で述べてしまうと「実力がないから」である。
そしてそれは単科目に限ったことではない。実際過去の44枚の答案なのだが、26点が一通あるだけであとは全て23点以下。うち20点は半数を占める。
すなわち「勉強したことが身についていないから」なのだ。



自分はさぼっているつもりはない。確かに、日々の学習(特にDVD講義の予習復習)がおざなりなのは認める。一日にDVD講義1-2Hを消化して、択一の単年度一科目をするだけで確保できる時間は費やされてしまう。その予定も週の前半より遅れ始め、本来復習に当てるはずの土日で無理やり取り戻している日常である。
いっそ、講義が納得いくまで何度でもやり直すという手もあるのだが、答練遅着(そして白紙答案や未提出)だけは避けたい。
絶対的に時間が足りない。それも「じっくり取り組める時間」が。何とか時間をやり繰りして、それでいて足りない。
そんなことは最初から分かっていたはずだ。確かにそうだ。そう思って勉強内容を重点志向で挑んできたのだ。



点数が証明してくれたこととは、すなわち今まで勉強してきたことが「ほとんどムダ」であり「徒労」でしかないということだ。何の役にも立たないことに「自分の時間を費やしてきた」ということだ。
だからこそ「身についていない」ことが悔しいし、凹む原因となるのだ。
(もし全然勉強していなかったら、ここまで凹まないだろう)



今からどれだけ挽回できるのか。択一過去問の点数も頭打ちな状態(40点超えは過去一回のみ)ではなんとも言えない。このままでは択一突破も怪しいだろう。
しかし司法試験はあきらめない。あきらめるにはまだ早いし、そも「来年受かる」と思わない人間には、来年の合格はおろか、再来年以降も合格は来ない。
ある日突然「わかった」瞬間が来ることは浪人時代に経験済みだ。そこからその科目についてはあたかもターボがかかったがごとく順調に進んでいったことを今も鮮明に覚えている(残念ながら全ての科目についてまでは到らなかったが)。その「ある日」は、何の変哲もない丹念に勉強をしていた一日でしかなかったのだ。
「わかった」ことが、一定質量の勉強の帰結だとしたら、自分の勉強はまだまだ不足していると言うことだ。そしてその日はまだ自分には来ていない。