僕の生きる道。

*1「あのね、Sちゃん、車に轢かれたらぺちゃんこになっちゃうの」
S「そしたら、Sちゃん、いなくなっちゃうの」
S「いなくなったらね、Sちゃん、おっきな樹を昇っていくの」
S「樹にはね、林檎がいっぱい生ってるの」
S「でもね、誰もいないの」
S「Sちゃんが、いなくなったら、探しに来てね」
妻「・・・・・・うん、必ず探しに行くよ」
私「Sちゃん、樹に昇るのは急がなくて良いから、先にパパが昇ってみてくるからね」
S「うん、わかった」



家族四人が自動車*2で移動中に、交わした会話。
保育園児でありながら、既に死生観を構築していることに驚かされたのですが、それ以上に「目に見えない想像上のもの」を、淡々と表現しているのがいじらしく思えました。
生を中断された者が、ひたすら無人の頂点を目指すその風景は、神々しいのかもしれません。
しかし、僕達の役割は、その風景を破壊してでも、彼がその頂点を目指すその瞬間の到来を先延ばしすることであるはずです。
「まだ、死ねない」
そう感じました。



蛇足ですが。
この会話をしている時、大人二人は涙目でしたし、台詞も涙声でした。
その大人たちに、長男は後部座席より「パパとママ、泣かないで」と声をかけてくれました。
なぜ、天は我が子に、この「才能」を与えたのか。
なぜ、天は我が子に、この「呪い」を与えたのか。
そしてなにより。
なぜ、多数に属し得ない者は「障害」と呼ばれるのか。
本心から、悔しいです。

*1:長男。3歳8ヶ月。アスペルガー症候群

*2:運転席:私、助手席:妻、後部座席運転手側:ゼロ歳児長女、後部座席助手席側:長男