身につく

五年半ほど前のこと。合気道を習い始めた。
社会人になってしばらく経ち、精神的&経済的余裕が発生したことからの帰結である。
この「年配の新人」を所先輩の方々はもてあますかと、いらぬ心配をしてみた。
その対応策としては「疑問に思ったことも言われた通りにしてみる」ということであった。
そこでわかったことは、一見不思議なことも、それなりの理由と必要性があるということ、そしてそれらは、身についてみて始めて分かるということであった。

昨年の春に司法試験の勉強を始めたのだが、その際に予備校側より色々な注意があった。

曰く 復習を大切にしろ。
曰く 自信がなくても答練は受けろ。
曰く 悩んでも前に進め。

聞き流してしまったこともあれば、その都度実践していることもある。それらの心がけを完遂できるだけの許容性はなかったし、受講のスタンスは「とにかく今できることをする」というものであったからである。
そのことの是非は問うても仕方がない。
万全を期待できるほどの環境にないのは事実なのだから。ただ、論文演習に講義がうつり、覚えていることと全然理解できていないこととの差が顕著であることから、やはり先人の意見は無駄にならないということを実感しているところである。
合気道は数ヶ月ほど休会していた。家内の妊娠が明らかになったことと、択一体制に入ったことがその理由だ。
家内が産休に入ったことで、合気道を再開した。ブランクは小さいものではなかったが、それでも数回の稽古でカンは戻りつつある。身につくというのは、このようなことなのだろう。