宣告刑重刑化の可否検討。

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http://d.hatena.ne.jp/usakosa/20050302
国家が国民一人一人から私的報復権を取り上げている以上、国家は国民の代表として犯罪者に向かい合う義務があると考えます。その向かい合う手段こそが刑罰であり国家と犯罪者との「二当事者対立」(国家法人説はこんなとき便利)を徹底すれば「科刑」が第一目標で「更生」は付随的目的でしかありません。
ではなぜ司法の場で「減刑」が行われるのか。行為無価値的にはなぜ「責任阻却される」のか。早い話「重刑科刑責任の回避」だと思うのです。
検察や裁判所は、犯罪者に対して十分理解できるように「あんたの行為はこの罪に該当するよ」と宣言するだけの「科刑のための説明責任」を直接負うのに対して、その他の国民に対しては直接責任を負いません。正直「国民」を納得させるという義務を負わないとも思えるのです。必然、直接向かい合う「人間」へ科刑する重圧を避けていくのだと勝手に思います。
無論一人一人の検察官や裁判官がそのような動機で論告求刑をしたり判決文を書いたりはしないと思うのですけど、如何せん「組織」の論理は否定しがたいです。人事権を持つ「上司」の意向に逆らうことはできても、逆らい続けることは難しい。法務省掲示板に自分の受験番号を見出した瞬間や司法修習所修了時の新鮮な気持ちを、組織そのものが持つ静圧の下でずっと持ち続けている人間が多数派であると信じる方こそ不自然です。何よりもその当人一人一人に対して失礼と思います。何しろ検察官や裁判官は人格や能力、そして自己研鑽について国民の多数派より超越されていることは確実だと思いますが、それでも「人間」なのですから。