きっかけとして。

当初仕事の愚痴、それも特定個人についての愚痴は書かないことにしていた。
愚痴というものは書いている方としては、若干のストレスの解消になるのだろうが、読まされる方にとってはたまったものではない。その点を含めて禁じ手にしていたはずなのだが、いつのまにか増え始めている。情けない限りである。
愚痴を禁じてにしていたもう一つの理由に、書くべきではないという判断が挙げられる。
仕事に際して一定時間を共有せざるを得ない人々(同僚という言葉は嫌いなので、こう表現した)が、一律皆有能で誠意ある態度を取れるはずはない。そもそも企業とは、およそ個人的な資質に恵まれなかった人々が、とにかく集まって全体的な能力向上をはかるための法人である。期待するほうが間違えているのだ。そのような人々の欠点をあげつらう必要はない。(必要性の欠如)
また、あげつらっている人々も職員の平均レベルがその程度だとしたら、およそ同一の企業に属している以上、自らも大差ないという結論は容易に導き出せる。いわゆる「同じ穴の狢」状態である。他人の非を述べる資格はないのだ。(許容性の欠如)
もっとも、司法試験を目指そうとした理由の一つに、将来や自らが所属する業界に対しての漠然とした不安や、それでいてその集団に属していることへの嫌気があるわけだから、そこから頭一つ突き出した状態になるために、やはり勉強しようと思うのである。