星をつぐもの

我が家から自動車で十数分のところに息子夫婦&孫夫婦と暮らす家内の祖母にとって、我が子は六人目の曾孫である。
孫夫婦には今年二人目の子供(家内の祖母にとっては五人目の曾孫)のが生まれ、その子は待望の女子ということもあり、さぞや猫可愛がり&我が子は放置だと思っていたのだが、予想は大きく外れた。すなわち「通い状態」なのである。
数日と空けずに、我が家に家内の母(つまり家内の祖母にとっては娘)の運転する車で参上する彼女をかき立てるものについて、正直自分には全然想像がつかなかった。
「『息子の息子の子』と『娘の娘の子』とでは、扱いは違うでしょ」
女性のラインは強い。そして年老いない。
男性のラインが「肉体的な遊び」を経由していく反面、年老いて廃れていくのとは対極的に、女性は年齢を経てなおそのラインは維持される。「子育てを終えた娘と遊びに行く母」の構図は良く見られるが「仕事を終えた息子と遊びに行く父」はいない。家庭を置き去りにして仕事に熱中した男たちの多くは、年老いて孤独であり、そして孤独であるゆえに連帯できない。
いずれ我が子も、同世代との交友や仕事に生涯時間の大半を注ぎ込み、その時には燃料の切れかかったブースターでしかなくなっている自分のことなど気にしなくなるのだろう。
悲しくないとは言わない。しかし、その連鎖が時代を構築していたのだし、一瞬一瞬のきらめきがあるからこそ、男たちには目指すべき場所が用意されているのだ。
我が子が何を目指すのか、そしてどのような視線を自らの後継者に向けるのか、携帯の待ち受けに写る我が子の姿を見て、少し考えてみた。